DIY・イズ・ビューティフル

好きなモノだけに囲まれて暮らしたい。それがDIYライフスタイル。

DIYスピリットとは

例えば、木でテーブルを作るとします。DIYとして作るのと、プロの木工職人が作るのでは、当たり前ですが、世界が違います。最大の違いは、DIYは自分かもしくは近しい人が使うために作り、職人はお客さんのために作るということです。

職人は失敗が許されません。お客さんの気に入らなければ仕事にならないからです。むしろお客さんの想定や期待以上のものが求められます。さすが職人さんという、デザインや素材、工作精度、それらが導く客観的な美しさ見事さがなければなりません。そのために技術を極め、最高の素材と道具を使う必要があります。

DIYでももちろん自分や近しい人の期待に応えなくてはいけませんが、それはあくまで主観的なものです。そして失敗が許されます。「今回はここまで、次回はもっとうまくやるね」という学びのプロセスが許されます。

職人は狭い専門性を極めます。木工をやる人が建築をやることはまずありません。ライバルが世界中にいる中で、お客さんに選ばれるためには、そうでなければ客観的な評価に耐えうるレベルのものができないからです。

DIYは何でもやります。生活の必要や趣味に応じて、木工もやれば機械もいじれば電気工作もやれば家のリフォームだってする。いきおい、それぞれのレベルは浅くなります。いわゆる素人仕事ですね。道具もホームセンターで売っているような安価なものです。

この浅いけれど広いという技術・技能のあり方が、DIYスピリットです。

山村で暮らしていると、おじいさんたちが何でもできて本当に感心します。米や野菜を上手に作るだけではありません。小屋を建て、家を直し、道を補修し、木を伐り、獣をとり、キノコを見つける。刈り払い機のエンジンを分解して修理し、ちょっとした家電なら修理してしまう。お金をかけるのではなく、そこいらにある材料を使ってちょちょっとやってしまいます。

これが伝統的な百姓のあり方です。「姓」は古代には職能集団を表していました。百の仕事ができるのが百姓です。

この百姓のあり方を現代に蘇らせようというのがDIYスピリットです。

人間が心から嬉しいと思う瞬間は二つしかないと私は思います。何かを学び体得した時と、他の人とのコミュニケーションの中で共感が生まれた時です。このことは多分人類のDNAに書いてあって、だからこそ人間はここまで高度な文明を築いたのだと思います。

単にネットでポチッとやって商品が送られてくるだけでは、学びも共感もありません。自分の手を動かし何かを作り上げた時、それがまだまだできの悪いものであっても、学びの実感とそれを近しい人に見せた時の共感があります。できの悪いものは、使う中で改良し洗練させていけます。そこにまた学びと共感があります。

学びと共感の機会を得ること。これがDIYスピリットです。